2008年01月27日

火星のピラミッド

 今は火星と地球は離れていて、火星ブームの観光客もいないので、ぼくは貨物船に乗ってひっそりとやって来た。それでも、出迎えはおおげさなもので、気のおけないぼくの古い友人は、自動ぐるまを四五台引き連れて、ラッパを鳴らし、旗を振り回し、喜び勇んでかけつけたものだった。
 火星の空は透明で、宇宙が透けて見えていた。地球から見る火星は素晴しかったが、火星から見る宇宙はもっと素晴しかった。空のてっぺんになにかがぽっかりと浮かんでいて、あれがきっと火星の太古からの衛星――フォボスか、ダイモス。火星のすべてがぼくを歓迎していて、何かを大声で叫びたくなった。 ぼくは火星服を付けるためにのろのろと動く気迷い仕掛けの二本の腕がもどかしくて、心の中で歌う美しき青きドナウのスピードを百倍にした。そして、やがて支度が整うとドアを開け放ち、くるくると船の階段をかけおりた。
 さあ、やって来た、これが火星の土だ。
 ぼくの下には思いのほか柔らかな火星の大地があり、ぼくの前には大歓迎の友達の姿があった。火星の美しい空の下で、ぼくは満ち足りていて、胸の中で大きな赤い風船をふくらましたような気持ちになっていた。
ぼくは彼に走りより、少しうわずっていたかもしれない声で、再会の喜びと遠い道のり、素晴しい火星のことについてまくしたてた。胸の中が張り裂けそうな赤い風船で苦しかったからかも知れない。
 だけど、彼はちょっと血走った目で、ぼくを睨み付けた。
 「そんなことより、おまえ」彼の声は落ち着いていた。「荷はちゃんと積んで来たんだろうな」
 ぼくの胸の中の風船が豆粒のように小さくなって行った。ぼくのやって来たのは貨物船で、だから当然、何かが積んであるはずなんだが、そんなことは気にもとめていなかった。再会と、素晴しい火星の事ばかり考えていたものだ。そういえば見送る資源開発公社の人間が荷物をよろしくとかなんとか行っていた。……なるほど、この船には何か貴重なものが積んであるのに違いない。もちろん、ぼく以外に。
 ぼくは大事な事に気が付いた。なんということだろう、今頃気が付くとは。こんなに地球と火星が遠く離れている時に、わざわざ飛ばす船だ。どうでもいい物が乗せてあるはずがない。さしずめ、彼の大騒動は、ぼくのためというよりも、その荷物のためであるに違いない。ぼくはちょっとがっかりして、胸の中で豆粒大になった風船を、指先で火星の空に弾き飛ばした。
ぼくには少し子供っぽいところがあって、いつも何かに興奮している。もちろん、彼には幼稚な歓迎ごっこをやっている暇はないのだろうし、何もぼくを歓迎していない訳じゃないと思う。ぼくはちょっぴり彼にすまない気になった。彼に歓迎ごっこを強要しなくても、ちゃんと彼に替わって、ぼくには火星中が歓待の意を示してくれているではないか。 ぼくは空を振り仰いだ。
 「ねえ、あれは何だい」ぼくはちょっと気まずくなって話題をかえた。「フォボスかい? それとも、ダイモス?」
 彼はしばらく中空を見つめていたが、やがて、目をつむって溜息をついた。
 「RX−1721」彼は淡々とした口ぶりだった。「旧式の資源探査気球さ。何なら、製造番号も言おうか?」





 相変わらず火星の大気は真空で、赤の景色の中に吸い込まれそうだった。
 おれはこの火星の赤と言うやつが大嫌いで、何とかして蹴飛してやりたいが、あいにくとして属性を蹴飛すなんて器用なことは、おれには出来やしない。だから、おれは仕事を早めに切り上げて、マイホームの中で寝そべっているか、地球からのサービス放送でも聞いているべきなんだ。それが目の前の火星という圧倒的な存在に対する唯一の方法と言う訳だ。
 ところが、そんなおれの些細な希望を踏みにじるやつが現われたものだから、おれの安らぎは真っ赤な憂鬱の海の中に漂い、溺死した。やつとはもちろんあいつのことで、手を振り回し、わめき散らし、あちこちを嗅ぎまわり、自動ぐるまのまわりをくるくる廻っているくそガキの事だ。自動ぐるまはただ単にトラックに小さなコンピュータがついただけの単純な機械で、高度な判断なんか出来やしない。 あいつがあんまりちょっかいを出すので、可哀相に自動ぐるまのうちの一台は、小さな頭脳をオーバーヒートさせたし、ほかの一台は、訳のわからない事をやり始め、あげくのはては勝手に帰ってしまった。だが、あいつを踏み潰すことを恐れるあまり、その場で止まってしまったほとんどの自動ぐるまはまだましだった。
 もっとも悲惨だったのは、ここにいる間抜けな人間で、脳味噌が熱暴走を起こしてがんがん痛み始めるし、あまりのことに真っ赤に充血した目からは、冷却水が漏れでる始末だった。
 おれは自分の運命を呪い、めぐりあいの悪さを呪った。止まってばかりいるコンベアとまるで進まない仕事、ポンコツの自動ぐるまと、忌まわしい火星、これだけでも充分なのに、その上あいつと来た。神様はおれをよっぽど気に入らないに違いない。血へどを吐くまで叩きのめすつもりなんだ。いったいおれが何をしたと言うんだ。それとも何かしたんだろうか?――あいつと一緒だった数年間をりっぱに耐えたではないか。そうではないのか? おれは呪われた火星の生活と引き替えにあいつから自由になったはずだ。それなのに、今度はあいつが火星にやって来た。これは呪いだ、呪いに違いない。



 おれは地球での生活を思い出していた。おれの大学生活のスタート。夢と希望に包まれていた。素晴しいキャンパスと、自由。華やかな女子学生の群れ。ところが、学校の寮のルームメイトとあった時、すべてが消え去ったと言っていい。あいつだった。そのころのあいつは(今でもそうだが)やっとよちよち歩きが出来るようになったばかりと言ったはなたれ小僧で、とても大学生とは思えなかった。
 とんでもない! もちろん大学生なんかであるものか。少なくとも、おれたちのような地道な学生じゃない。つまり、まじめに勉強し、馬に食わせるような、単語、年号、数式、定義、その他もろもろのがらくたを頭の中に詰め込むと言うような単純作業を立派に務め上げて、世の中の役に立ちますと言う証明された人間。――そして、これからもどんなくだらない無味乾燥な作業だって、ロバのようにこつこつとやります、どうぞなんでも銘じて下さいと言う人間。――そういうりっぱな人間じゃない。
 あいつは何がなんだか知らないが、その、訳のわからないものだ。生まれてから小学校にも行かずに大学にやって来た。やって来たと言っても正式な大学生じゃない。小学生ですらない。幼稚園児の身分があったかも怪しいものだ。
 それなのに大学にいた。学生寮にもいた。ただ単に寮の中にいた訳じゃない、おれと同じ部屋だ!!
 それだけでも我慢できない、まじめな、規律だったシステム――小学校に、中学校、塾に入試の山脈。そう言うもろもろのまじめなまっとうな人間のよりどころ――それら美しいものを破壊し、踏みにじって来た。だけど、なによりも我慢できないのは、あいつがおれたちまっとうな学生よりも科学の海の中でうまく立ち回っていると言うことだった。おれたちは誰も何に対してもあいつには歯が立たなかった。まるで、極悪非道の大悪人が、月光仮面、ウルトラマン、スーパーマンなどの正義の味方をことごとく打ち破って、快進撃を続けて行くようなものだった。こんなことが許されていい筈がない。
 何があったと思う、一年もたたないうちに、おれたち善良ないい年をした学生の前に、三つか四つのはなたれ小僧のやつが、講師として現れたんだ。おれは本当にその時、やつに一服盛って、絞め殺して、八つ裂きにして、逆さに張り、墓を掘ってやって、それから、それから、――だけど、そんなことをしなくてよかった。あんなにふしだらな、邪悪な、よこしまな、悪の巣窟みたいなやつを手にかけたら、いったいどんな災いが振り掛かって来るかわかったものじゃない。あいつに比べたら、パンドラの箱なんて、ちっちゃな可愛いおもちゃ箱にすぎない。
 それにしても、どうしてこんな不正が行なわれるんだろう。いったい何がやつに手を貸しているんだ。世の中の常識とか、法律とか、良識とか、そういうまっとうな人間のための防波堤はどうなっているのだ。いったいぜんたい、天才か何だか知らないが、はなたれたよちよち歩きの小僧が何の権利も無いくせに講師になって、(ある訳ないじゃないか、法律で決まっているんだ。小僧は労働しちゃいけないんだぞ!)親ほども年の違う、不運のほか何の罪も無い学生に向かって、「君は留年だな」だと! その時だって、おれたちはルームメイトだったと言うのに。
 おれはやつに引導を渡されたために、泣く泣く学部を替わって地質学者になった。何で地質学かって? 決まっているじゃないか。こういう地味なまっとうな学問は、やつが絶対に興味を持たないとわかっていたからだ。そして、おれは学生寮を出て、下宿を見つけた。やつと同じ部屋にいると、おれのガールフレンドが訪ねて来ても、まあ、可愛いとか何とかいって、やつにかかりきりになってしまうからだ。おれは妻を寝取られた亭主のようなもので、これがやつの悪魔の中の悪魔たるところなんだ。おれがやつを睨み付けてみろ。あいつは怯えた顔をして泣けべそをかくんだ。すると、おれのガールフレンドは……。もう言わなくてもいいだろう。
 おれは本当に不幸だった。
あれから、あいつには今まで会っていない。おれが火星に来る前に人の噂で、あのガキはありとあらゆる学問、科学、深淵で神聖な真理を土足とIQの実弾で踏みにじり、(地質学だけは別だ。地質学だけは神聖なままで残された。)揚句の果てはコンピュータとか人工知能とかをこねくり廻していると言うことだった。
 何をやっていたと思う? やつはある人工知能を作っていた。合理的な理由さえあれば、もっとも基本的なプログラムさえ無視すると言うフレキシブルな、要するに何をやるかわからない代物だ。こんな物が出来て見ろ。人類皆殺しがもっとも合理的だと言うことにその人工知能が気付くのにそう長くはかからないさ。
 そんな訳で、おれはやつののさばる――そのくそったれ人工知能でやつはノーベル賞を取った。――地球に見切りを付けて、火星行きを志願した。地獄の継ぎに遠い所だ。
 だが、それがいけなかった。あいつはそう言う所が好きらしい。





 ぼくは本当に火星にやって来て良かった。 ここは神にまもられた土地だ。美しい、すみきった大気が宇宙を支えていた。神聖な赤い大地はどこまでも続いていて、ぼくの心の中の地平線まで続いているようだった。住んでいる人々も、素晴しい人ばかりで、(その中にはあの古い友達もいた。こんな所で再会出来るなんて!)ぼくはここが真空な宇宙の中の唯一のオアシスじゃないかと思った。
 ぼくはなぜか火星に引かれる。





 おれはうつろな目つきをしていたんだろう。無理もない、しがない間抜けな地質学者の小さな幸せが、永遠に消え去っていったからだ。 あいつは、あのよたよたとした歩き方で、呪われた資源開発公社の火星事業所の所員の前に歩み出た。
 「しばらくお世話になります。姿 トオルです」といった。
 声変わりしていないきんきん声で、まるでかわいげのない言い方なんだぞ。子供はこういう時はこう言うもんだ、こんにちは、でも、ぼく、もうお家に帰りたい、と。それがしばらくお世話にだと、しばらくって、いったいいつまでなんだ。それに何だって、こいつがここ火星に来るんだ。いや、そりゃあ、火星に来たっていいさ。しかし、何だって、資源開発公社の火星事業所なんだろう。あいつにはそんな資格も権利もない筈じゃないか。資源開発公社と何の関係があるというんだ。蚤のまばたきほどの関係もない筈だ。だいたいあいつがもっとも興味を示さない筈の分野じゃないか? どうして――どんな不正がまたもや行なわれたんだ。職域や、縄張や、秩序とか、組織とか、規律とか、おれたちがやっている事によそもんが口出しするなとかいった、そういう神聖な約束はどうなっているんだ。あいつの周りにはいつも不正が渦巻いている。火星の砂嵐なんか問題じゃないさ。



「ここに姿先生をお迎え出来ることは、私達の大変光栄と致すところでありまして……」 所長はどうかしている。一着しかないモーニングを引っ張り出して来て、(火星でモーニングだ)いい大人が、はなたれ小僧の前で汗を拭き拭きガチガチになって、口をパクパクさせている。ひきつけをおこしたペンギンみたいに。
 どうしてこう言ってやらないんだ、仕事の邪魔だ、子供は帰れって。一体全体、どんな指示が地球の本部から出ているか知らないが、火星には火星のしきたりがある。追い返すべきじゃないか。
 ここは静かなこじんまりとした事業所だ。所長を合わせて五人。居室も五つだ。客人用の部屋はない。
 「君、学生時代一緒に住んでいたんだって」くそったれ所長はうなずくように言った。
 おれは海坊主にみそめられた鰯のようなもので、やって来る筈の無い奇跡を祈ったんだ。奇跡は不足していて、火星にまで配分されないのはわかっていたが。





 資源開発公社の火星基地は地下にあった。地上には小さな小屋があるだけだったので、もしその周りに、自動ぐるまや巨大な採掘機などが放置してなかったら、火星の大地の中で、幻想小説のさし絵にあるような妖精のすみかに思えた事だろう。だが、小屋の中の階段を降り、地下の昇降機をさらに降りると、小ざっぱりとした生活があった。飾り窓や天井の照明が工夫されていて、ぼくがサンダルばきかなにかで、その辺のドアを開け放って飛び出せば、すぐそこに輝く太陽と海があるように感じるほどだった。そして、なにより素晴しいのは、そこかしこに美しい花が(火星で本物の花だ)活花風に飾ってあることだった。ここ火星事業所の人々は、地球を火星の中に持ち込むにあたって、とても注意深く作業を行なったに違い無い。文明の中の刺や、ウイルスや、その他もろもろの不純物を取り除き、地球の美しい物を、生薬を煎じるように何も残さず抽出して、この小さな空間に持って来た。ぼくにはそれがよくわかった
 火星の素晴しい人々。所長に古い友人の一也、たつみ氏にやじま氏。こんな人々の中でぼくの使命が達成出来るなんて、何かいい事があるような気がする。



 ぼくは一也に案内されて、今はふたりの生活の場になった居室に身の廻り品を置きにいった。彼は始終無言で、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。心配事でもあるんだろうか? この美しい火星にも、奥深くには苦悩が隠されているんだろうか? ぼくは少し不安になった。
 「いったい何だって、そのう……」部屋の中の一方のベッドに腰をかけながら、彼はぶっきらぼうな声を上げた。「何だって、お前さんここにやって来たんだ?」
 彼の部屋は無理にベッドをもう一つ押し込めたようで少し窮屈な気がした。二つのベッドの間を小さなついたてで仕切ってあったので、よけいそう感じたのかも知れない。しかし、ふたりで寮に住んでいたころに比べたら、それは天国のような広さだった。
 「ここはいい部屋だね」ぼくもベッドに腰をかけた。足が届かない。「所長からは聞いていないのかい」
 一也はしかめっ面だった。「そりゃ、所長は知っているだろうさ。だけどなあ、あの所長は、本部からわざわざ話せっていう指示がなけりゃ、晩飯のおかずのことだって秘密にするんだ。お前さんがやって来ることだって知らなかったんだぜ」
 ぼくはすごく以外な気がした。「それじゃあ、一也、君の書いた報告書の事は?」
 「おれの報告書がどうしたっていうんだ」彼はつっかるようにいった。「一体全体何なんだ、トオル」
 ぼくは少し考え込んだ。「半年前に地球に届いた調査書の事さ。所長経由でやって来た君の調査書は、資源開発公社の手を離れて、あるところで問題になったんだ。それでぼくがやって来たんだよ」
 「所長は掃除当番表でも地球に送るさ」彼は唸った。「それでおれが何を報告した」
 「一也の署名があったんだよ、あれには」ぼくはゆっくりといった。「山のことだよ、円錐形の山があるって。写真がそえてあった」 一也は何も言わなかった。
 「完全な円錐形じゃないとしても、非常に不自然な気がするんだ。山脈からも孤立しているし、浸食作用がまったく見られない。君は地質学者だからわかるだろうけど、あれは自然のものとしては少しおかしいんだ。そして……」
 彼は言葉をさえぎった。「要するに、おれがお前さんを呼び寄せたのかい?」
 「呼び寄せたって?」ぼくは息をついだ。「まあ、そうなるかも知れないね」
 すると、一也はううんと唸ったきり頭を抱え込んだ。
 ぼくは大人の気持ちがわからない。





 ゆみこはおれたち所員のマドンナだった。やじまやたつみと徒党を組んで、火星の憂鬱や、所長の石頭の形式主義や、その他、もろもろの災いから護って来た。彼女だけが、この単調な火星の上の唯一の慰めだったからだ。そう、おれたちは本当にうまくやってきた。中世のナイトのように、娘を持つ親のように、彼女の前から、厄介ごとのゴミ屑や、ホームシックの小さな刺を、注意ぶかく取り除いていった。おれたち三人の男どもの牽制された真空地帯の中で、彼女は純粋培養の妖精のようなものだった。
 それが今、どこのどいつと一緒にいると思う? あいつだ――あのくそったれのいろがきだ。あいつのアシスタントとして四六時中一緒にいて、姿も見せない。
 おれたちはもっと注意深くやるべきだった。彼女をどこかずっと遠い所につれていって、鉄の扉と、鉛の壁――そして、その前に重武装で寝ずの番をするおれたちの姿。
 だが、それでも所詮、無駄なことだったのかもしれない。あのいろがきの毒牙にかかったらどんなに近代的な防衛システムだって、内部から崩壊してしまう。つまりだ、今のゆみこのように。
 ゆみこはあいつと会った途端に、野蛮な男どもからいたいけな子を護るのは自分しかいないと決めてしまった。女というのはまったく単純だから、小さながき一匹と、男ども一つまみと、女ひとりをぐるぐるかき回すと、極悪非道の狼の群れと、おびえる仔犬と、優しい聖母という図式がすぐに出来上がるらしい。おまけにあのがきときたら、女の前に出ると、いたいけで愛くるしい少年というやつに変身するんだ。
 おれの部屋でおれとあいつがいた時だ。ノックの音がして、ゆみこが姿を現わした。あいつは目をむいて(そうなんだ、ゆみこは特別美しい)こんにちわとか何とか言いながら、ゆみこに突進した。おれは次の瞬間あいつがゆみこにひっぱたかれるものだと思った。少なくともゆみこは女ひとりで火星にやって来るような本当に気の強い所がある。だが、そうはならなかった。おれがせめて屍だけでも拾ってやろうと立ち上がったと言うのに。
 「まあ、可愛い坊や」とゆみこは言った。「一也、この子が本当にあの姿くんなの。私、、もっと違う感じの人だと思っていたわ。だってすごい天才なんでしょ」
 ゆみこはしゃがんであいつの頭をなぜていた。くんくんとあいつは鼻を鳴らしている。 おれはベッドに座り直して軽い溜息をついた。



 「やあ、どんな調子だ」採掘現場のベルトコンベアの前で、たつみとやじまが座り込んでいた。「何とかなりそうか」
 「どうにもこうにも、おれたちは機械屋じゃ無いさ」火星服を透してさえ溜息が聞こえそうだった。
 おれたちの採掘現場では、一年ほども前からおかしな事故ばかり起こっていた。コンベアや、掘削機や、精錬機や、運搬機などが、なんの意味も無く動いたり止まったり、そうかと思えば掘削機が掘っているのに自動コンベアがそっぽを向いてどこかに行ってしまったり、運搬機が砕石を持ってきているのに、精錬機が口を開けなかったり、その逆だったりで、悲惨なありさまだった。所長は責任逃れで、おれたちのサボタージュのような事をいうし、すべての機械がそんなありさまだったからなんが何だか判らなかった。コンピュータがおかしいんだろうと思ったもののどうにも手がつけれなかった。そんな訳で地球から色々な部品を取り寄せたんだがやはりなんの進展もないみたいだ。
 「何とかしないと困ったことになるぞ」おれは少し声を荒だてた。「こんなに部品を取り寄せてしまったんだ」
 「どうにもならんさ」やじまは悪態をついた。「何が何だかさっぱり判らん。あんたやってみろ」
 「おれは地質学者だ」おれは大声を出した。 「おれだって地質学者だ」やじまがやり返す。
 やじまとのいさかいをたつみのあくびが止めに入った。「おれも地質学者なんだよ」
 おれたちは薄汚れた火星の大地に座り込んだ。
 「やっぱり、どうにもならんか」おれは深い溜息をついた。



 その時、突然ベルトコンベアが廻り出した。からから音がして、赤い小石の破片をおれたちの頭の上にばらまいた。
 「やめろ」やじまがげんこつを振り回す。 自動ベルトコンベアは鋭いスリップ音を出して回転を止める――いや、違った、コンベアの自走式車輪の音だ。おれたちに向かって来る。「危ない」おれはおもわずコンベアを素手で止めようとした。馬鹿な。はっとして、立ちすくむ。コンベアは目の前だ。
 横からどんと突き飛ばされる。転がりながらたつみがおれに覆い被さって来るのが見えた。
 なにかが頭のヘルメットにぶつかる。巨大な車輪だ。砂ぼこりをたてながら、すぐ横を通り過ぎて行く。助かった。
 いや違う、上に乗ったたつみが何か叫んでいる。逃げろ、やじま、だ。
 コンベアはやじまに向かっている。赤い砂ぼこりの中で、やじまが走っている。おれはコンベアを追いかけた。
 意識の中で、スローモーションのような地獄だった。少しずつ、少しずつ、コンベアがやじまに追い付いて行く。まるで、特撮映画の一シーンのようだった。巨大な自走式コンベアは狂ったチラノザウルスレックス。――いや、あいつは吠えたくる悪魔だ。
やじまはこちらを向いて座り込んだ。うつろな目で肩で息をしている。ばかやろう。
 おれはコンベアに飛びついた。激しい振動と赤い砂ぼこりの中で、なにかに持ち上げられる。ベルトの上に乗っかって、運ばれていた。どうなっているんだ。このままではコンベアの先端から落下するだけだ。落下して、その後はやじまと一緒に自走車輪に轢き殺される。おれは悪態をついた。



 突然の静寂だった。砂ぼこりが火星の薄い大気の中を散っていく。
posted by あのめ at 18:09| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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